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【2002春合宿計画書】2003.05/20up
2002GW Yala Peak climbing
[個人・印象記]
川名 / 菅野 / 冨田 / 人見 / 白土 / 村松 / 柴山 / 鈴木 / 高橋 / 黛 / 戸沢 / 張 / 藤井 / 高橋 / 村山
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Yala報告書 [巻頭言]
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ヤラに昇るカシオペア
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2002年5月2日、現地時間午前4時。濃紺のバックに白いシルエットが光る。約半年かけて準備をし、またメンバーを募り、そしてトレーニングを積んできたその成果が今日決まる。後にも先にも今日が限りだ。一歩また一歩と登る自分のつま先と、時々見上げる目的のピークのシルエット。そして1秒1秒の変化を続ける夜明け直前の景色。仲間の息づかい。朝の静寂の音。何もかもを忘れて、ただただ登ることだけに専念し、一歩一歩を最小の動作でそして最大の効果を得る為のミリ単位の上昇移動を続けなくてはならない。パワーは一滴足 りと無駄にはできないのだ。話すと多くの空気を消費する。余計な動作を一つするだけで大事な空気をまた一つ消してしまう。この手に掴んで逃がさなくする事もできない。人間とはなんて小さな存在なのだろうか。なんて頼りない生き物なのだろうか。その頼りない自分の足だけを信じて、一歩一歩を大事に慎重に消化する。何もかも忘れて、ただ登ることだけに専念する……。 その言葉とは裏腹に、走馬燈の様に頭の中を色々な事が現れては消え、また現れては消える。その中に、絶えず浮かぶのは、今日、この場所に居ない5人の仲間達だ。酸素吸入器の中で大丈夫ですとか細くほほえむ顔。苦しい息づかいで絶対に登りますと誓った顔。もう駄目という声に強く握った手。そして何人もの泪も見た。お前の目的は、全員の登頂じゃ無かったのか?ちょっと体調が悪いからといって、仲間を切り捨てて自分だけで登るのか?そんなんでいいのか?登った事になるのか?全員で登れないならば全員で下るべきだったのではないのか?そんなことを考えていたら、今目の前にいる9人が、14人に見えてきた。
さあ、どんどん近づいているぞと見上げるヤラピークのちょうど真上に、カシオペアが昇りだした。
俺達は、まるでそのカシオペアに向かって登り続けている様な気分になった。
そう、目的はヤラピークなんかじゃない。一歩一歩遙か遙か何億光年も遠くにあるカシオペアに向かい登り続ける。
今そのメンバーは15人の仲間達だ。
全員でアンザイレン。 あのカシオペアに向かって昇れ。
2002GW-Yala 隊長:川名 忠
川名
会員各位 及びYala参加者各位
Yala参加者の皆さんお疲れさまでした。 また会員の皆さん、留守を預かっていただきありがとうございました。
さて、今回の2002GW-Yara登山ですが、無事に終了する事ができました。 今回の登山は、色々と考えさせられる事が多く、私を含め、参加者全員に 実り多いそして印象深い山行になったと思います。 森羅の山行をして、今回初めて"死"というものを間近に感じました。 と言うのは、もしあの場に、予備として持ち込んだ酸素ボンベが無かったら、 誰が死んでもおかしくない状況だったからです。それも複数名です。 朝ちゃんなどは、あのダンロップテントにはもう二度と寝たくないと言ってます。 あの晩のダンロップテントは、さしずめ野戦病院の様な状況でした。 それは実際にあの場にいたものでなければ分からない恐怖だと思います。 今回の反省点は多々あります。 それらの結論づけは、総評内でとしたいと思います。 がしかし、はっきり言って私は、5500メートルをバカにしていました。 5500メートルどころか、4500メートルをバカにしていました。 その点だけは今この時点でも素直に反省する点だと思います。 だからといって、高所登山に怖じ気づく気持ちは毛頭ありませんが、 今後の良い経験して行きたいと考えています。 今回、図らずも、"ヒマラヤ登山"のなんたるかを垣間見る事ができました。 高所登山の非情さ、厳しさ、そして苦しさ。 そんな中でのチームワーク、仲間の大切さ。 今回得られたすべての経験を、 今後の6000、7000、8000メートルへつなげて行きたいと考えます。 ヒマラヤの非情さ、厳しさ、そして苦しさは、 その肌で直接向かい風を受けた人間でないと理解できません。 今回参加したメンバーはその為の貴重な経験者です。 今後とも、皆さんよろしくお願いいたします。
p.s. 楽しいことも沢山ありました。 報告会では楽しかった思い出も沢山話しましょう。
菅野
5月2日のヤラ・ピークアタックの報告です。他の人の報告とダブルところがあ りますがご容赦下さい。
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5月2日ヤラ・ピークアタック
2:00起床 3:00時朝食 3:40アタックメンバーAC出発。
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テントから顔を出すと、わずかに星が見える。快晴とは言えない天気に少々不 安を覚える。タイムリミットは10時だ。なんとかそれまで天気が持ってくれれ ばいいなぁと思う。まだ暗いので皆ヘッドライトをつける。ACを出発し、岩がゴロゴロした涸れ た沢筋を横切りヤラ・カルカのある尾根に取り付く。カルカ脇にてしばし休んで から出発。ここは日本隊が来ることが多いのか日本語の書いたゴミがやたらと目立つ。同じ日本人としてどうにもイヤな気分になる。ヘッドライトの替え電池を 忘れた村松さんは帰路に備えてヘッドライトを点灯せずに歩くが、それでも困らないくらいに月明かりがある。出発時には数えるほどしか見えなかった星が、雲 が取れてよく見えてくる。後ろで川名隊長が「分かるか、あれがカシオペアだ! ヤラの上にカシオペアがあるぞ」とうるさい。単調な登りが続き、呼吸と歩みを 整えながら黙々と登る。ザイル担当になっていた村山さんがこれまでにない疲労 を訴えながら倒れ込む。荷物をシェルパに頼み、空荷で登ることにする。この辺 りから「ペースが速い」との声が少々上がり始めるがタイムリミットがあるので ここはひとつ頑張ってもらう。徐々に周囲が白み始めてくる。ランタンリルンに朝日が当たり始めヒマラヤに夜明けが来た。「うぉぉ〜!最高だぁ」と周囲を見 渡すと、しゃがんでいる金ちゃんの後姿がみえた(あんなシチュエーションでさぞかし気持ちがよかったことでしょうね)。途中、休憩時にはお弁当のリンゴを食べたり、朝焼けのヒマラヤをカメラに収めながら登る。尾根幅が狭くなったピークに差し掛かった時、右手に朝日を受けたランシサ・リが見える。ここからは 少々下る。「せっかく登ったのにぃ」と言う声が聞こえる。当初は左の氷河帯ルートを考えていたのだが、シェルパに意見でここより右の岩稜帯を登る事になる。ケルンを目指して少々急な雪の斜面を登り気味にトラバースする。岩場ではシェルパがザイルを張ってくれる。高さは20m弱くらい。まだ気温も低く、ルート上が日陰になっているので岩の上が凍っていて若干嫌らしい。足慣れていればノーザイルでも行ける。岩稜帯上部からはヤラ・ピークが真上に見える。メンバーの歩くペースにばらつきが見られてきたので、ここより速い組(L白土&冨田 鈴木、戸沢、高橋)と遅い組(L川名&菅野 村松、張、村山)の2グループに分かれて歩く。左手にヤンザチェンジを見ながら雪稜を列になって登る。雪の照 り返しがまぶしい。ふと、この風景はどこかで見たことがあると思ったら「ヤマケイ4月号の付録」に載っていた写真の場所だと気付く。家に帰ってその付録を 見直したのだが、今回の方がはるかに雪の量が多いのが分かる。まぁ連日午後から必ず雪が降っていたのでそれも当然であるが。その先よりシェルパがフィックスロープを張る。ここよりアイゼンを装着し、先程の組でアンザイレンをしながら登高器を使い登る。斜度的にはフィックスもいらない位ではあるが雪の量が多かったため雪に足を取られて苦戦しているメンバーもいたので、安全策としてはやはりフィックスは必要だったと思う。途中の掛け替え毎にシェルパが付いていてくれ、慣れないメンバーに手を貸してくれている。そんなにサービスしてくれなくてもいいよと思う。フィックスを張った急斜面を登り終え、アンザイレンをしたまましばらく登る。ヤラ・ピーク稜線上への最後の急斜面で2本目のフィックスを張る。もう少しと焦る気持ちを抑えながら一歩一歩登る。既に登り切った先行組がアンザイレンを外して待っているのが見える。ようやく登り切った我々遅い組の到着を待ってから、「ここでフィニッシュ」という信じられない言葉をシェルパから聞くこととなる。このことについては既にこのML上で何人かのメンバーが意見等を延べている。私は強引にも山頂へ向かった一人であり実際に歩いてみて感じたことだが、山頂までのあの道のりは新雪が積もり足下が不安定だったことは確かである。そこを大人数が歩けば崩れる可能性が大きくなるので、きちんとフィックスを張っていかなくてはならない。そうなれば時間がかかりタイムリミットまでに全員が登頂することは不可能であったと思う。山頂を目と鼻の先にしてここまではないだろうという気持ちは痛いほど分かり、あの後微妙な雰囲気が流れたことを覚えている。あの時取るべき道として「全員であの時点までとする」という選択もあったであろう。しかし森羅は山岳会であり単なる仲良しグループではないのだから、時間的や状況的に登頂が限られた場面に陥った場合、その状況で登れるメンバーだけでもトライすることが重要だと私は思う。そ の考えがACで体調を崩したメンバーたちに下山を申告するという決断に至ったのであるし。
下山は来た道をひたすら下る。やはり徐々に天気が悪くなってきている。人数が多いこともあってがシェルパよりフィックスに頼らずに降りるように指示が出る。しかし後ろ向きに降りるのでは余計足下が見えずに怖そうだ。岩場では川名 隊長の指示でザイルをダブルに使って2人ずつ降りる。とにかく今日中にキャン ジンまで降りなくてはならない我々には時間が大切。登りの時点で既にかなり体 力も消耗してしまっているだろうし、それに加えてここ数日のように天候が悪化し雪が降ってくれば精神的にも辛くなってくるだろう。さすがに足に疲労を感じるが、出来るだけ速く、とにかくヤラ・カルカまで下らなくては!と気を引き締 める。「タシさんだ!」という声に反応して目を凝らすとガスの向こうに見覚えのあるウエアを着た人が見える。行きに休憩を取ったカルカまでテントを移動して我々の帰りを待っていてくれたのだ。しかもトイレテントまで用意されている。なんとも嬉しいものである。ダイニングテントで休息&身支度を整え15時に下山を開始する。キャンジンまで持って降りるのだろうなぁと覚悟を決めていた登攀用具も持たずに済み、皆心なしか足取りも軽くなり、暗くなる前にキャンジンへ到着。雪の降る中、先に下山した柴山さん&藤井さんが出迎えに来てくれているのに驚く。その他のメンバーもまずまずに元気そうで安心する。
15時間行動というロングトレイルにも関わらず、みんな本当に頑張ったなぁ と時間が経った今でも感じ入ることしきりです。このパワーは十分に自慢できる ものです。そして、今回は「時間」の大切さを強く感じさせられました。高度順応が上手くいかずに下山したメンバー、そして頂上を目前にしてタイムリミットに泣いた メンバー。特にACより下山することになったメンバーにはこれで高所登山を諦めないで欲しいということを強く言いたいです。一度具合を悪くすると本人の気持ちが引っ込むだけでなく、周囲からも今後反対の声が上がるかもしれません。しかし時間を掛ければ絶対に順応するものです。また、次を目指しましょう。
私は、英会話にでも通おうかなぁ。。。
☆菅野@森羅★
冨田
yalaに一緒に行った皆さんも、国内残留の皆さんもまずはありがとうございました。 今回のyala遠征、印象的なことが多すぎて書きたいことが山のようにあり ます。 しかし、あまり長文になってもいけないので、数点に絞り込んで報告します。
1.ダンロップテント
4/30夜のダンロップテント、20:00に予定通り隊員のSpO2値を測 定したところ、いきなり黛くんが46の数値を示しました。慌てて隊長に報告、後は隊長の報告(#1635)通りとなるわけです。私がダンロップにいたのは 20〜22時とまだまだ平和な時(あとから振り返れば)だったんですが、刻一刻と変化するSpO2の数値にびくびくでした。翌日、隊長とともにダンロップテントで下山を勧告した時の空気が重くて重くて辛かったです。4人が無理に作っている笑顔が辛かった。「登頂祈ってます」のエールが重かった。正直言うと、個人的にはここまで来れたことで満足している部分があり、L会MTG時点では一緒に下山となってもいいかという気が全くなかったわけじゃありませんでした。しかし、このダンロップテントでの4人の姿を見て、幸いにも元気な自分は絶対登らなくちゃいけない!と強く心 に誓ったのでした。
2.届かなかった20m
5/2、最後のフィックス地点をクリアし眼前にはナイフリッジとその奥にタルチョはためく山頂が待っていました。よし、いよいよだぞ!と気合も入れ直していた時にシェルパから無常のゴール 宣言が。確かに冷静に考えれば、時間的にもぎりぎりだし、かなり疲労している隊員もいて全員登頂は不可能だったでしょう。しかし、それまで何の前触れもなく「ここまでだよ」と言われてはなかなか納得できるものではありません。シェルパにも、強引に行ってしまった3人にも内心悪態をつきながら(ごめんなさい)、近くて遠かった山頂を眺めつづけました。「ここもヤラピーク ですよ」というシェルパたち。それならそれで先に言ってくれよ。歓喜のバンザイもできなかったじゃないか!。でも帰国して今になっては、今回のことはこれでよかったのだと思っています。あの時届かなかった20mは次の宿題とし、200mにでも2000mにでもして(言い過ぎ^^;)返してやりたいと思います。
3.birthday cake 5/2。
無事登頂を果たしてキャンジンゴンバまで下山した私たちに夕食後、シェルパ達がパーティを催してくれました。”レッサンフィリィリィ”の 合唱に踊り、そして歌合戦対決(勝負にならなかった・・・)と、楽しい時間で疲れも忘れ楽しみました。そんなパーティで、登頂祝いのケーキ(森羅会名入り)とあわせて、私の誕生日を祝うbirthday cakeが用意されていました。誕 生日に山頂に立てただけでも十分だったのにこんなプレゼントがあるなんて。こんな素敵な日は、これまでの誕生日中でももちろん最高のものです。幸せ者ですね。計画してくれた隊員と実行してくれたシェルパ達に感謝します。ほんとにありがとうございました。 以上、印象的なことを3件ピックアップしてみました。結局長文になってしまいましたね。ごめんなさい。 最後に一言「なんだかんだ言ってもヤラピーク最高でした!ダンニャバード!!」
金太郎@森羅005
人見
森羅のみなさま。 ネパール・ヤラピークの旅についての感想です。
昨年に書いた『ボッカへの道』『登攀への道』に続く第三弾、『ヒマラヤへの道』です。 ご覧ください。 ↓
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『ヒマラヤへの道・ 美しい山々』
まさかヒマラヤに行けるとは思わなかった。夢が実現するというのは幾つに なっても興奮する。初めて乗ったヘリコプターが連れて行ってくれたところは、まさに神々しいランタン谷の山群だった。めまいを起こしそうなくらいの高い山々。首が痛くなってくる。ゴラタベラ(3000m)からのトレッキングは、本当に楽しかった。きれいなシャクナゲ、見たことのない高山植物。茶店で飲んだミルクティーも、お経が彫られた石のプレートも、放牧されたヤクの群も、何もかもが新鮮で輝いて見えた。谷の奥に進んでいくと、別の山が遠くに見えてくる。山の連なりがすごい。厚みがある と言えばいいのか。
『ヒマラヤへの道・ 高度の壁』
3800mのギャンジンゴンパから高度順応で登ったプ・シンラ(4200m)で最初の頭痛が来た。脳が膨らんで圧迫されているような感じであった。それでも、頭痛薬を飲んで1晩眠ったら直っていた。ギャンジンからヤラカルカまでの道のりは、空中歩道をゆっくりと登っていく感じでさほど辛くはなかった。ヤラカ ルカ(4700m)にくると、またまた脳圧が上がっているような頭痛が起き、私以上に調子の悪い症状が出ている隊員がいた。空気が薄いため、少しの動作で息が切れる。景色は泣けてくるほど美しいのに、苦しい。代償を払わないと近寄れない所なのか。やはりここは神様のいるところなんだなと真摯に思う。
5人も不調者が入ったダンロップテントでは、リーダーの人が交代で看護にあたっていた。結局4人が下山。身体のことを考えればやむを得ない。下った4人の気持ちを思うと悲しかった。ところがどっこい、その夜私も本格的におかしくなった。自覚症状としては寒気と頭痛。SpO2値が39にまで下がったときは、さすがにびびってしまった。こんな異国のさらに異境の地で、酸素を吸うとは。眠るとより酸素が取れないので、サーダーのタシさん、高橋さんと話をしていた。村松さんは1時間毎に測定のため起きてくれ、同じテントのみんなも近くのテントのみんなもきっと私の話し声で眠れなかったに違いない。登頂を数時間後に控えているのに大変な迷惑をかけてしまった。無理に残らず、下山していたほうがよかったなぁと悔やんだ。
結局、高度の壁は越えられず、下山。美しいが刃を隠しもっているヒマラヤ ・・・すごい世界だった。
『ヒマラヤへの道・ 何を食べたか』
山に入っている間は、食事の心配が皆無だった。朝はミルクティーとビスケットがテント毎に振る舞われ、ランチもディナーも行く先に食事テントが設営されていて、我々はのれんをかいくぐるように入ればよいわけだ。「極楽だ ・・・」恐らく15名全員感じたと思う。
朝食は割と軽めで、お粥やゆで卵が良く出てきた。夕食はコロッケ等の揚げ物、スープ類、サラダなど、ぐっとボリュームがあり品数も多かった。ワンプレートディッシュは効率的だし、おかずがいっぱいのってて見た目に楽しかっ た。初期は調子よく食べていたが、さすがに高度障害が出てきた頃から食欲が 落ちた。おかわりを注ぎにくるキッチンボーイに「No, thank you.」は言いにくかったが。
カトマンズでは、餃子の親戚のようなもの(モモ)や、スキヤキの仲間のようなもの(ギャコック)を食べた。どれもこれも初めてで珍しく、面白いくらい口に合った。しかし、旅ではお通じのなさに苦しむ私であるが、日にちが経つにつれお腹が緩くなっ たのには驚いた。恐るべきネパール。辛いものが大好物な私は、ネパール産の青トウガラシ(生)をかじる機会にも恵まれた。シェルパはこれをかじりながら登るという。そう言えば、山中の食卓にもチリソースが毎度毎度登場し、私を元気づけてくれた。
『ヒマラヤへの道・ 君の名は?』
数日間ではあったが、サーダーのタシさんを始め、シェルパ、コック長、 キッチンボーイ君たち、ポーターさん達と過ごしたわけだ。別れるときは寂し さがあった。それにしても、名前がよく分からない。全員で19名の人々にお世 話になったのだが、最後の最後まで、コック長と信じて疑わなかった人がシェルパだったとは・・・それもミンマさんと思っていたのにスゥワージさんという。どこをどうすればそんな間違いになるのか? スヌーピーのTシャツを着ているというだけで「スヌーピーさん」と称されたシェルパ。次回会うときにピカチュウなど着られたら分からないだろう。おまけにタシさんはダシさんだったという噂も聞く・・・。別れるとき、数人に帽子へ名前を書いてもらったが、解読不可能だ。まぁ名前などいいね。楽しかった思い出が出来れば。 きっと向こうも我々に何かあだなを付けているよ。
『ヒマラヤへの道・ 何を感じたか』
日本で準備をしていたころから、「いったい下着はどうなるんだろう」と考えていた。パンツは4日間が限界と自ら豪語していたが、意外にも6日間平気だった。乾燥しているからだろう。この点は自信を持って帰国したいと思っ た。
カトマンズの観光は想像以上に面白く、興味深かった。どうやって生計を立てているのか分からない人が大勢いた。
河は恐るべき汚さであった。 車ど うしの小競り合いもすごかった。平気で「ハシシいらんかね」と言ってくる 親父さんもいた。お釣りもごまかそうとする・・・。 ヒマラヤの神々しい美しさとは別のネパールが存在する。いいとこばかりではない。しかし生きているエネルギーは日本人以上だ。子供も大人も一生懸命だ。それは強く感じた。また行きたいな。
みや@森羅(No.18)
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一緒に旅をした隊員のみなさん、応援してくださったみなさん、ありがとうご ざいました。
白土
○ヒマラヤの山はでかい
我々が行動していたランタン谷はとても大きな谷でした。谷の両側には大きな山並みがずっと続いています。ゴラタベラやランタン村のすぐ裏には、一見すると穂高の屏風岩に似たような岩壁が立ちはだかっていますが、規模は何倍もあります。そしてその遙か上方には7000m峰ランタンリルンがあるのです。
ヤラピークへ向かう途中で最後の村となるギャンジンゴンバのすぐ裏には槍ヶ岳のようなかっこいいピークがあり、この山がもし日本にあったら大人気の山に違いないと思いましたが、これはランタンリルンの前々々衛峰くらいで、本峰はその遙か上にあります。この尾根は標高差3350mもあります。ほかの主だった山は、2年ほど前に川名さん・菅野さんが遠征したランシサ・リ(6412m)や、その奥にはドルジュラッパー(6966m)、いまだ入山許可されておらず未踏峰のガンチェンポ(6387m)、ランタンリルンと尾根続きのキムシュン(6745m)などがよく見えました。ヤラピーク山頂では、シェルパからあれがシシャパンマ(8012m)だよと言われました。この目で8000m峰が見られたのも今回の大きな収穫でした。
○ヤラピークへ
ヤラピークはどうだったの?と言われそうですが、確かにこのような大きな山達に比べると規模は小さいかもしれませんが、みなさんからの報告にあるようにその頂に立つのは容易なことではありませんでした。5520mですからね。富士山(3776m)よりも1744mも高い。私は登攀副隊長なので、がんばってみんなの先頭に立って登ら なくてはいけないと思っていました。ですから山頂アタックまでは体力温存を心がけ、幸いにも体調を維持することができ、登頂することができました。ただ、登頂後の下りでは既に体力を使い果たし体力不足を強く感じ「次に来るときはもっとレベルアップしてから来いよ」とヒマラヤの山達に言われている気がしました。
○ヒマラヤのトレッキングスタイル
ヒマラヤの登り方は国内とは全く違います。ポーターやシェルパ は我々に対して至れり尽くせりです。B.C.まではトレッキングスタイルなので行動時に必要な装備以外は全てポーターが運んでくれます。テント場にはポーターやシェルパが先に到着し、我々が到着するとお茶を入れて待っています。テントも設営済みです。ご飯は3食ともコックさんやキッチンボーイが作ってくれて食べ放題お茶も 飲み放題です。朝起きると紅茶とクッキーを各テントまで持ってきてくれます。その後はお湯の入った洗面器がテントの入口に一人ひとつ用意されます。こうしたスタッフのおかけで我々は高度順応や山頂アタックに精神的にも体力的にも集中できます。逆にこのバックアップがなければ我々がヒマラヤの山には登ることは難しいと思います。このようなトレッキングスタイルは、かつてイギリスや欧州列強がこの地へ来たときに現地の人たちを教育してできあがったのだと思います。そしていまでも色濃く残っているのでしょう。ポータたちはビーチサンダルを履いて我々の大きなザック3人分以上を一人で運びます。服装も貧弱に見えます。それに比べ我々はきれいな服装で装備も超豪華です。平等で豊かな国・日本で育った 私にはこのギャップが大きな印象でした。
○次のステップへ
私は幸いにも体調を維持でき登頂もできました。私は楽観的なので今振り返ってみると、今の自分にヤラピークはレベル的にはちょ うど良い山だったと思っています。しかしヒマラヤの大きな山に囲まれていたトレッキング中には、あまりにも日本の山とスケールが違うので日本の山が小さく思えてしまい、これから日本の山にはどういう気持ちで取り組めばよいのか少し悩みながら歩いていました。しかし日本の山には四季があり豊かな森があり雪が解ければ緑に囲まれて気持ちの良い風景が広がっています。本チャンや沢登りのバリエーションにはぞれぞれの難しさや厳しさすばらしさがあります。これらに対する私の思い入れは変わらず、ヒマラヤ登山という新たな世界の扉を開き、そこへ一歩踏み込んだという気持ちです。次は6000m峰に挑んでみたいです。
-- 白土 悟 (Shiratsuchi Satoru)
村松
Yala印象記です。長いです。
モーニングティーと、顔を洗うためのお湯のサービスから始まるランタン谷でのトレッキングは、本当に快適でした。ましてや、午前中は晴れることの多いこの時期のヒマラヤ。真っ青な空、神々しい程白い山を見ながら迎える朝の気持ち良さといったらありません。しかも、その後にはできたて朝御飯が私たちを待っている!! 「もう、森羅の国内山行には参加できないよ。」なんて冗談が隊員の間を飛び交いました。(イヤ、本気かも!?)3,020mのゴラタベラから始めたトレッキングは、すこしづつ高度を稼いでいく道のりで、歩けば歩くほど谷の奥には、さらに高くさらに美しい山が見えてきます。最初はシャクナゲ、その後は丈15cm程の アヤメやピンクのサクラソウ、名も知れぬ(単に私が名前を知らないだけだが)薄水色の花など、小さく地味だけれど可愛い早春の高山植物が目を楽しませてくれます。 高度障害があまり出ず、頭痛も一切なかった私は、多少の疲れは あったものの、最終キャンプ地である約4,750mのヤラカルカまでの道のりを十分楽しむ事ができました。この時までは、「この調子なら ヤラピークは楽勝!」なんて能天気に思ってました。しかし、隊として大変だったのはそれからでした。その詳細は他のメンバーの報告に譲ります。私もヤラカルカで迎えた長い夜、色んな事を想い考えたけれど、何より強く感じたのは「仲間と一緒でよかった」ということです。何かあっても、お互いサポートしあえる。だから大丈夫・・・と。そして私自身が大変(?)だったのは、Yala登頂日でした。それまで順調だったし、大丈夫、大丈夫と思っていたのに、歩き出すと、信じられないほど体が重い。ペースが昨日までより早いからなのか、知らぬ間に疲れがたまっていたのか。イヤ、単に私に体力がないだけか。ランタン谷入りしてからずっと意識して続けてきた腹式呼吸が、ちょっと油断するとくずれてしまう。息が切れる程になってしまったらきっと態勢をたてなおせないと思い、とにかく呼吸を乱さないよう意識する。後ろを歩いている川名さんから、「呼吸と歩くペースをあわせて」と声がかかる。息も切れ切れに「はい」と言うと、「返事はいいから」とまた声がかかる。今度は心の中で返事をして。歩きながら、「休憩」と言う言葉がどんなに待ち遠しかったことか。月に照らされた蒼い山の美しさと言ったら、言葉につくせない程だし、やがて訪れた朝陽に山々がオレンジ色に染まって行く様も本当に美しいのだけれど。とにかく素晴らしいのだけれど。 でも、しんどい。体が重い。このままここに座って、皆が帰ってくるまで待ってちゃダメかな、なんて考えが頭をよぎったけれど、でも口にはだせない。やがて、ペースの速い組、遅い組に別れて登り始めて、ようやく ほんの少し余裕がでてきた。そしてついにたどりついたピーク。今までヤラピークが邪魔していて見えなかった向こう側のヒマラヤ が、どどーーんと見える! 凄い!!山ってなんて美しいんだろうとあらためて思う。5,000m〜7,000m級の真っ白な山に囲まれ、見下ろせば氷河が走り、はるか青空の彼方には8,000級の山も。。。 (見えてたらしいが、実は私には区別はついていませんでした。)
下りは大丈夫、と思ったのだが、実はやっぱり大変だった。登りでなけなしの体力を絞り尽くした感じ。下りこそ皆に遅れることはないけれど、途中で登り返しがあると、てきめんペースがおちてしまう。それはもう見事なほどはっきりと。ヤラピークは、標高は高くても技術的にそんなに難しい山ではないから、消耗している状態でもなんとか下山できたけれど、でもそんな状態で歩くのは本当は危険なことですよね?もっと体力をつけなくては、ってあらためて強く思う。ちなみに、この下りで、今回の山行で初めての頭痛を感じた。ああ、下山時になって高山病かいな、なんて思いながらとぼとぼ?歩く。喉がいたかったこともあり、会話を交わす余裕はほとんどない。ギャンジンゴンパが間近になって、そして迎えに来てくれた隊員の鮮やかな黄色の雨具を見た時、「帰ってきたんだ!」という思いがこみあげて、とても嬉しかった。
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さて、ここでちょっと話しをかえます。
私は高山植物が大好きです。 ヤラカルカを越えると、道もあるようなないようなで、油断すると高山植物の花を踏んでしまうので、出きる限り気をつけます。そしてさらに登って行くと。雪に隠れているところはまだいいのですが、雪解けが始まって いるところは、びっしりと高山植物がついてます。(大半はまだ 芽吹き前だったりしたけれど、きっと雨季には素晴らしい花を 咲かせるのでしょう。) なるべく踏まないように、と思って歩くのですが、やっぱり踏んでしまう。ましてや疲れてくると避ける余裕もない。ごめんねー、なんとか避けたいんだけど、あ、また踏んじゃった。イワウメに似てるな、あんな花だったりするのかな、あーーでも 踏むのを避けられない。。。。 個人山行ではお花の写真を撮るのが趣味の私が、高山植物踏んで歩くなんて・・・・、と苦悩(?)しました。そういや、お花摘みで道から離れた時も同じパターンだったかも。。。 はたと下を見ると、一面に丈15cmあまりのアヤメの群生。アヤメさん、お邪魔します・・・と、侘びをいれた!? なるべく高山植物に与えるインパクトを少なくしたい。そして最低限、ごみは捨てない!! いつもそう思ってはいるのだけれど。でもお花摘みに行ってしまったということは!? 自分のティッシュ回収できるくらいの根性つかなきゃ、エラソウな事言えないよなぁ。でも、最低限のマナーはあるだろう・・・・・。日本語の書かれたごみがたくさん捨てられているのをみながら、そんなことも考えたのでした。
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さて、登頂日はめろめろだったものの、それ以外は高山病の症状 に悩まされることもなく、お腹も快調だった私。最後の最後にとどめの一発をくらいました。カトマンドゥで飲食する際も結構気をつけて、ホテルで皆がラッシーを飲んでた時もビン入り炭酸。なのに、帰国日の朝遊びに出かけて、4人で入った小奇麗なパン屋さん併設のレストラン。ここならきっと大丈夫(根拠はない!)、もう帰国だし、歩いて喉も乾いたし、ええい コーラじゃ味気ない、ラッシー飲んじゃえ!! ・・・・見事にあたりました。あ、食べたものはとっても美味しかったんですよ!もちろんそのラッシーも美味しかったんだけどね。他のメンバーの状況を見ても、まず犯人はそのラッシーに間違いないでしょう。2〜3時間でイヤな気配を感じ、そしてトランジット先のデリー空港では、カレーを食べる予定を返上してトイレとお友達に。 インドの空港は、トイレにおばさんがはっていてチップを要求するの。お願い、心静かにトイレにいかせてくれ!!とどんなに思ったか。 (ちなみに男子トイレにはいなかったらしい。) 最後に私が得た教訓。油断大敵、注意1秒怪我一生。この時くらったお腹の症状は、一生とはいいませんが帰国後6日 間くらい続きました。
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とりとめなくなっちゃいましたが、お許しを。 最後になりましたが、サポートして下さった皆さん、そして一緒に 旅した皆さん、どうもありがとうございました。 国内外、また森羅でいっぱい山に登りましょうね!!
村松 令子@No26
柴山
最後の最後に体調不良で、皆さま本当にご迷惑をおかけしました。浦島太郎の私に現実は容赦なくおそってきて、ネパールモードの私の胃腸だけがヒマラヤの余韻としてまだ残ってます。とりあえず、成田の検疫所から連絡はなかったので法定伝染病ではなさそうです・・・。初めてのヒマラヤ、初めてのネパール。印象深いことばかりでうまくまとめられません。残念ながらヤラ・ピーク登頂はできませんでしたが、ヒマラヤの美しさ、厳しさ、仲間の大切さ、ありがたさを全身で感じました。ダンロップテントでの長い夜については皆さん、語ってらっしゃいますので私は、パワーに圧倒されたカトマンドゥについての印象をちょこっと述べたいと思います。
3850mのギャンジンゴンバから30分ちょっとであっと言う間にカトマンドゥ。行きは通りすぎただけのこの町に3日間滞在。知らない街は、いつもワクワクする。カトマンドゥの喧噪はさっきまでいたランタン谷と同じ国なのか!!と衝撃を憶える。このギャップがまたいいのかもしれない。信号機はあるものの作動してなく自動車はぶつからないようにクラクションを鳴らしながら車は走ってく。この国の自動車の最後はクラクションが鳴らなくなった時であろう。ドアが閉まらないなんていうのはたいした問題ではないようだ。大きな交差点とかはお巡りさんらしき人が交通整理してました。大きな道路を横断するのは思い切りが必要。そして道の真ん中で渡れず足止めを食らう私・・・。タクシーの値段の交渉は最後まで張さん任せ。もう、ふっかけてくるわで相場がどのくらいか見当がつかない。集まったタクシー達もみんなグルと見える。張さんの英語と大きなリアクションが私たちの唯一の光だった。最終日は早起きしてスワヤンブナートまで歩いて向かった。ネパールの人達はみんな早起きで6時過ぎなのに道中は活気にあふれていた。揚げパンを揚げる人、商品を並べる人、お祈りをする人、学校に行く学生達。昼間の町と違い私たち観光客はおいといて、自分の生活をしているという感じで、素直にこの国を見つめれたと思う。カトマンドゥの散策は、絶対早朝がオススメ。ディープなインドラ・チョーク(現地の人達のバザール)もおもしろかったですが私はお腹を壊していてトイレを求めて早足で通り抜けてしまったのでちょっと心残り。ヒマラヤにトレッキングに来なければ、立ち寄ることなんてなかっただろうネパールの町。ランタンの山々も感動でしたが、カトマンドゥも楽しかったです。また行きたいです。登頂こそできませんでしたが学んだことは多々ありました。今回の経験は、次へ(ヨーロッパ?)のステップだと思ってます。皆さま、ありがとうございました。
シバヤマ アヤ@森羅031
鈴木
Yalaでは色々な事がたくさんありました。 その中で一番印象的だったダンロップでの出来事をご報告します。
<4/30夜、ヤラカルカAC>
高山病で体調不良の4名は夜、集中治療のためダンロップテントに集結。L会メン バーと村松さんが交代で看病しSpO2を定期的に測定、記録した。私は測定がイヤで寝たふりを抵抗をしたがそんなのムダだった。数値が悪く教えてもらえない場合もあったが、私は強引に聞き出し自分の状態を把握するよう努めた。 12時頃、寒気がするという和美さんも加わり患者は5名に。SpO2を測定しながらの酸素吸入。いつ死んでもおかしくない状況で、初めて死を間近に感じた。酸素 ボンベから黛くん、文ちゃんの呼吸が聞こえる。こんなになるなんて・・・悲しみがどっと襲ってきた。和美さんが吸引時、突然操作するダシさんの手が大きく 素早く動いた。圧を一気に上げたのだ。酸素ボンベをコントロールするダシさんの手元をヘッデンで照らした。緊張が走り、ダシさんの表情も硬くなった。圧を どんどん上げるダシさんの手元と和美さんを交互に見ていた。本当に怖かった。怖くて怖くて仕方なかった。「死なないで・・お願い」ただそれだけを祈っていた。少し落ち着くとダシさんが「大丈夫!だよ」と言ってくれた。よかった、本当によかったとほっとした。でもその安心も長続きせず、1本の酸素ボンベから 2本の管が出て2人同時に酸素吸入をする状態が続いた。黛くん、文ちゃん、和美さん、藤井ちゃん、みんな交互に吸引していた。重たい空気がずっと流れた。 こんなの使わないよと思っていた酸素ボンベが、みんなの大切な命綱になってい た。寝るとSpO2値は10位低下するので、明け方睡眠禁止令がダシさんから言い渡され た。眠いというメンバーにみんなで話しかけ、寝ないよう努めた。SpO2値は悪くても自覚症状はあまりないので、余計厄介だった。酸素吸入時、意識がなく全く覚えていないという人もいた。すごく長い夜だった。朝、酸素吸入したメンバー が全員無事生きていることが何より嬉しかった。
<5/1>
前日酸素吸入した4名は下山した。体調の悪いみやちゃんと私は呼吸促進作用をもつダイアモックスを服用し、鼻の穴を広げるイビキ予防のテープを鼻につけ、少しでも呼吸が楽になる様努め、ダンロップテントで寝た。 寝て間もなくみやちゃんのSp02低下。村松さんが急いで川名さんに報告し、ダシ さんにより酸素吸入開始。酸素吸入開始時間が予想以上に早く不安になった。「はぁ〜はぁ!」とみやちゃんの呼吸が聞こえ、寝起きを繰り返し辛そうだった。前日の恐怖が蘇った。「みやちゃん死なないで!朝がちゃんと迎えられますように・・」ただそれだけを願った。そんなみやちゃんをを村松さん、高橋さん、ダシさんが看病し続けた。体調が悪かった私も側でSpO2測定し、酸素吸入開始への不安と恐怖でほとんど寝れなかった。 朝になり、みやちゃんがちゃんと息をしてくれている事が本当にうれしかった。
以上です。 しばらく思い出したくなかったので当初は書かないつもりでしたが みんなにも伝えた方が良いと思い書きました。次回は今回の経験を生かし対処できるようになりたいと思いました。 こんなつらい思いだけでなく、楽しい事もたくさんありました。 ここに書ききれなかったことは報告会で報告します。 みなさん本当にありがとうございました。
希望:しばらくはダンロップで寝たくないです・・本当に。
鈴木(追記)
こんにちは、鈴木@032です 先日の報告以外にも楽しい事もいっぱいあったので報告します。
オバカな事も沢山したなぁ・・・と書きながら思いました。 長いですが良かったら読んでください。
<4/27 出国>
成田で突然かぼちゃん登場ですごいびっくり!かぼちゃんにお別れを告げ、香港で張 さんと合流。移動中皆寝ていたが、私は驚く事が多く興奮して寝れなかった。
<4/28 ランタン入り>
空港の扉なしのトイレを見てショック。でもヘリに乗るとそんな事はすぐ忘れた。機体がフワッと浮き出発!思わず「ウワ〜ッ!」と言いながらバンザ〜イ。山がどんどん近づいてくる。パイロットに「どっち行くの?」と聞くと、遠くを指差し「向こ う」と返答。機内は騒音で何にも聞こえなかったが、目の前に見える風景全てに感動 し、顔がずっと笑いっぱなしだった。ヘリ到着後、雄大な山を囲みながらのランチ。 ランタン村まで先頭のシェルパのペースが速く大変だったが、途中から森羅のペースに。道の真中に大きなヤク糞をよけながら歩く。村松さん、みやちゃん、文ちゃんの楽しそうに話す声が後ろまで聞こえる。ザックを一度に4〜5個運ぶシェルパや頭に大きな籠をつけて荷物を運ぶ女の子が私たちを追い越していく・・・すごい所に来たんだと改めて感じた。ランタン村到着後、近くの丘まで登りSpO2測定。カンスケさんと4人のシェルパの数値が非常によい。シェルパなみのカンスケさんは優等生のようだった。ちょっと歩く だけでもすぐ息が切れ、3541mの高所にいることを実感した。
<4/29 ランタン村〜ギャンジンゴンパ☆プシンラ高度順応>
毎朝ティー&クッキーとお湯入りの洗面器を各自に配ってくれ感激。こんな贅沢いいのかなぁと言いつつ、しっかり甘える。 霙交じりの寒い日だった。ギャンジンゴンパ到着後、昼食をとりプシンラへ。プシンラの高度順応は急登と強風で息が切れた。一緒に行ったダシさんがパサン君に 何か話していると思ったら、急にパキパキ小枝を折っては集め、全員に配った。それはプシンラの山頂に願いが叶うようにお供えする為のものだったのだ。(本当は旗を付けるらしい)彼らのやさしさがとても嬉しかった。山頂には紐につながれた願いが込められた旗が沢山、風になびいていた。もうちょっと長く居たかったが雷、風、霙の為、すぐ下山した。
<4/30 ギャンジンゴンパ〜ヤラカルカAC(泊)>
朝、太鼓の音が聞こえ藤井ちゃんと音の方に行く。赤のジャケットを着たシェパが太鼓を首から下げ弾いていた。早速ジェスチャーで弾いて!とおねだり。照れながら弾いてくれたリズムは面白かった。ヤラカルカまでは大幅に時間がかかり、お昼は途中でとった。昼食後、川名さん、カ ンスケさん、しらっちは一足先にACへ向かった。私は頭痛、だるさ、息苦しさが悪化。前を歩く黛くんは熱もあり、さらに辛そうだった。ヘロヘロになりかけた時、キッチンボーイがニンニク入りの暖かいスープをACから冷めないように抱えて走って持ってきてくれた。やさしい気持ちがいっぱい入ったスープで、すごくおいしかった。AC到着後も体調が悪く、川名さんから高度順応は周辺散歩程度で帰るよう言われてい たが、シェルパ(ダウ君、パサン君)が同行してくれたので丘まで登った。体調が悪いのに丘の上ではしゃぎ、歌を歌ったので余計悪化した。もちろん川名さんには怒られるので黙っていた。(ちなみにこの時、”おさかな天国”を教えた。)ダウくんは 結構気に入ったようで「さかな・さかな・さかなぁ〜♪」と口ずさんでいた。夜、さらに体調悪化。ダンロップテントでの夜は長かった。
<5/1 移動・高度順応>
高度順応で今日も登るが、連日長時間の行動と体調不良で足は重かった。でも登りはじめると行けちゃうから不思議だった。川名さんから「今日はここで終り」と言われた時、ラッキー!!と思い、急に足取りが軽くなったが、テント到着時はクタクタだった。
<5/2 ヤラピーク登頂>
朝、身支度中に高橋さんからアミノバイタルを頂いた。マズイ!けど我慢して飲み込んだ。AM3:40出発。月と星明りの中、先頭のラクッパ君が早いペースで登る。前を歩くしらっちに置いて行かれないよう必死で歩いた。除々に太陽が上がり、光を浴びる山々、うわ〜きれい!と感激していた。その時ラクッパ君が朝日を指し、わざと私の顔をニヤニヤしながら見て「アサ・アサ〜」と言ってきた。森羅の寒いギャグ陣の顔がよぎった。なんで〜もぅ・・・一緒に聞いていたしらっちと顔を見合わせて笑っ た。酸素濃度は平地の半分で、絶えず肩で大きく息をしていた。不意に後ろを振り返ると 皆が登ってくる、村山さん、張さん、部長、村松さん、高橋さん、金ちゃん、最後に魔女みたいなマントを着たクノールさん、みんなゆっくりとした足取りで一歩一歩登ってくる。雪に反射する光で、登るみんながさらにきれいに見えた。ザイルはラクッパ君とパサン君が張ってくれた。みんなが登る、頑張っている顔が見える。もうちょっと、もうちょっと!と自分にも言い聞かせながら登った。ゆっくりとした足取りだったが、確実に頂上に向かっていた。Yalaの肩に着いた時は嬉しかったしほっとした。自分がいることさえ信じられなかった。景色は抜群だった。誕生日の金ちゃんにハッピイバースディ〜♪を歌い、おめで とうございます!と言うと、金ちゃんは幸せいっぱいの顔をしていた。本当に幸せそ うだった。森羅を代表して山頂に向かう川名さん、カンスケさん、しらっちの後ろ姿は格好よかった。いつか私も行けるようになりたい・・・心からそう思った。下山時もハイペース。ACより少し上でダシさんとキッチンボーイからジュースの差し入れがあった。少し下り小休止。荷物整理でザックの中は行動食のみにし、あとはシェルパに持ってもらった。休憩中、昨夜の残りの酸素ボンベを吸った。2人同時に吸えるようになっていたので、2人で思いっきり競争するかのように吸った。今朝まで大嫌いだったオレンジの酸素ボンベも、もうキライではなかった。でも吸った後、吸いすぎてクラクラした・・・
ギャンジンゴンバまでは長く雨も降り出し、道がグシャグシャでヤク糞かドロかわか らないような道もあった。ウーロン茶のCMに出てきそうな、どこまで行っても、どこまで行っても寂しそうな風景は続いた。みんなは黙って歩いていたが、私は眠くなるのでしゃべりながら歩き続けた。先頭のラクッパ君の足はなかなか止まらず、休憩1回の歩きは辛かった。 小雨で冷え込む中、ギャンジンゴンバ入口で黄色いカッパを着た藤井ちゃんと文ちゃんが迎えにきてくれた。本当にうれしかった。行かれなかったメンバーに後ろめたい気持ちが絶ずあったが、みんなが笑顔で迎えてくれた時、「おめでとう」と言ってくれた時、心から救われた。いい仲間に出会え一緒に来れたこと、支えてもらったこと、みんながいてくれたからここまでできた事を心から嬉しく思った。感謝の気持ちでいっぱいだった。夕食は疲れすぎて食欲なかったが、パーティ時には復活した。プレゼントされた森羅ケーキをみんなでカット。ロキシーを飲み良い気分になった頃、今度は金ちゃんのバースデーケーキ登場。ハッピーバースデ〜♪をみんなで歌い「金ちゃんおめでとう 〜!」超豪華なバースディだった。赤ジャケットを着たかわいいシェルパが太鼓を叩 き、藤井ちゃんも挑戦。段々みんなのテンションも上がってきた。気付くと金ちゃん、村山さん、部長、シェルパ、キッチンボーイ、他のみんなも踊った。踊りはメチャクチャだったが、すごく面白かった。レッサン・フィリリーはみんなを一つにしてくれ、思い出に残る楽しい夜だった。
<5/3 カトマンドゥ帰路>
朝、「さかな・さかな・さかなぁ〜♪」と歌うシェルパの声に驚き起きた。そう以前、藤井ちゃんと2人で教えた、おさかな天国の歌を歌っていたのだ。これには本当 にビックリした。ヘリまでの時間がないと慌しく朝食を頂き、お世話になった方にバンダナにサインを してもらう。以外にもヘリの待ち時間は長く、シェルパと話して時間を過ごした。帰 り際チーズがほしくなり、数名で工場までダッシュ。チーズは暗い倉庫の中でおじさんが量り売りしてくれた。倉庫を出た時、ヘリが見えまたダッシュ。高所ダッシュはかなりきつくすぐバテた。慌しくヘリに乗り込み皆にお別れした。ヘリの中でダシさ んと太鼓を叩きながらレッサン・フィリリーを何回も歌い、ギャンジンを後にしカトマンドゥへと一気に飛んだ。
<5/4>
みんなはすぐ、カトマンドゥ観光&お買い物モードに切り替わっていた。切り替わりの遅い私は、川名さんの後をついて歩いた。お金を支払う時、どこまで値切れるかみんなは燃えていた。遊び過ぎて夕食の時間に遅れそうになり、2人乗りの力車に強引に3人で乗りタメルの町を駆け抜けた。夕食はダシさんを招いて最後のパーティ。その後、夜発の張さんを見送った。あっという間に最後の夜が終わっていった。
<5/5〜6 帰国>
タメルの朝は早く、時間ギリギリまで最後の買い物を満喫した。空港でダシさんと別 れ、42℃の暑いデリー経由でJALに乗り成田へ。3時間15分の時差を早め、気持ちを切 り替え帰国した。
以上です 一緒に行ったメンバーや応援してくださった方々に心から感謝します。本当にありがとうございました。 ダンロップテントにお世話になったシェルパにサインをしてもらいました。みなさん見てください。 現地でお世話になった方々(覚えている限り・・・) キッチン長:ミンマさん キッチンボーイ:リンさん(確か・・) シェルパ:ダシさん、クノールさん、ラクッパくん、パサンくん、ダウくん 赤いジャケットを着た太鼓の上手いシェルパ(すごいかわいい子)とギリシャ系の顔の子、ほかの方の名前は覚えられなかった・・・
黛
今回、無事生きて帰れたのは、隊員みなさんのおかげです。みなさん命の恩人です。本当にありがとうございました。
っということで、一番印象に残った高度障害についての感想です。参考までに。
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私の体調は、出発時から風邪気味で、 朝ちゃんから、毎日薬をもらう。 このときから、体に負担を掛けつづけていたようだ。ただし、十分な睡眠のおかげで、朝には体調が回復して前半の山行を続けることができた。しかし、3日目の後半には体調が著しく悪くなった。ヤラカルカACに着いたときには、呼吸の乱れが止まらず、 「やばいな」と不安を感じていた。しばらくテントで休憩した後、近くの丘まで高度順応のため登ったが、一歩がなかなか踏み出せない。いっしょにいた金ちゃんが余裕で登っているのを見て、自分の体調の悪さを再認識した。
夕食もほとんど喉を通らなかったけど、りんごだけはおいしく食べれた。 熱を測ると、38.8度。りんごが美味しいはずだ。ただ、SpO2は81だったので、高度順応はOKと思った。早めにキッチンテントを出て、寝袋に入ると急激に睡魔が襲って、すぐに熟睡てしまいました。そして、気が付くと周りが騒がしく人に囲まれ、酸素を吸っていた。時間を聞くと8:00との回答があり「朝か。それにしても暗いな」とおもったらまだ夜の8:00で、不思議な感覚になった。このときの記憶は、いまでもよく思い出せない。O2吸入をしばらくすると、状況が把握できたきた。だんだん恐ろしくなってきたと同時に 「生きていてよかった。」とオーバーではなく心から生に対して感謝した。感謝。
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今回いろいろな幸運が重なって、無事に帰ることができました。
幸運@ テント割の変更
もし、別のテント寝ていたら、熟睡のまま、永眠していたかも?テント割を変更していただいて感謝。
幸運A 8時のSpO2の測定
キッチンテントで測定(7時)していたのに、間隔を短く測定してもらった。もし、測定間隔が長くして、8時に測定したいなかったら、SpO2がどんどん下がっていたかも。。。
幸運B 夜、みなさんに看病していただいた。
皆さん、お疲れなのに、本当に本当にありがとうございました。みなさんが白衣の天使に見えました。(川名さんも金ちゃんもしらっちも)
幸運C 酸素ボンベが壊れていなかった。
東京での高所講習会で、「ソ連製の酸素ボンベは壊れているものがある。」 との話があった。
今回は、Goodな酸素ボンベだった。もし壊れていたら。。。
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以上、死の危険がありましたが、 本当に「行って良かった〜。」と感じています。仕事に戻っても、まったくやる気なく、ネパールのことばかり思い出します。また、皆さんとネパールに行きたいですし、海外登山、高所にも行きたいです。また、よろしくお願います。
まゆずみ かつのり
戸沢
Yala印象記(反省記?)です。
最終参加申込者として締切日の3月27日申込みという、スロースターターで、事前準備にも殆ど加わらず、皆さんに甘えて楽をしてしまいました。本当にありがとうございました。 山行の幅が広がり素晴らしい経験をさせて頂きました。
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<登頂日のこと>
隊としての状況判断は正しかったと当時から思っていました。一区切りとしてその瞬間の『思い』を書かせていただきます。個人的には、最後のナイフリッジを渡れなかったことはやはり残念で、その場では天を仰いで涙するという状況でした。それは隊の判断に対してではなく、ひとえに登頂できなかったという事実に対するものです。登頂メンバーのためにビレイを取ったり、忙しくしているうちは良かったのですが、『これくらいなら行ける』という声が周辺からもあり、『カトマンズでやけ酒でも飲みましょうよ』と、私も努めて明るくしていたのですが、やがて登頂できないという現実に打ちひしがれ、それ以上山頂を見ているのも辛くなり、他のメンバーに撮影スポットを譲り、しばらくは一段降りたところで悶々としていました。ここまでで登頂したと報告するのだろうかなどど考えながら、喜んで写真に収まる気持ちにもなれず、集合写真に辛うじて収まっただけでした。いろいろなことが重なって起きた状況ですから、『たられば』を言っても 仕方のないことだと自分に言い聞かせようとしても、ずっと尾を引いていたのは事実です。今となっては些末なことなのですが、一番ひっかかっていたのは、『時間を短縮できる要素はなかったのか』という思いでしょうか。下山時も落石に直撃されたり、休憩中にヤクの糞が転がってきたり、まさに弱り目にたたり目、正直に言って気持ちの上では最悪の状況で下山しました。皆、脱力感(達成感?)からでしょうか、ちょっと気配りができ無くなっているようにも見え、いたたまれない状況も何度かありました。自分も気付かないところで皆さんにご迷惑をかけているのだろうという反省と同時に、平常心を維持することの難しさを、少し実感することと なりました。
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<体調のこと>
利尿剤に、アミノバイタル、バーム、カーボショッツ?...とにかく効果のありそうなものは全て飲み、食べました、やはり薬効に助けられての成果でしょうか、結果として高度順応がうまく行き、体調が維持できたこと、登頂日もザイルを担いで元気に登れたこと等々、私にとっては花マルの状態で、日頃の山行以上のベストな状態であったような気が します。長期山行でいつも悩んでいた水に対する心配も、事前に処方された硬水対策の処方薬をある程度飲めば乗り切れるということが判りました。高所登山に対する不安がいっきに解消されたと言っても過言ではあり ません。なお、成田到着時に微熱がありチェックを受けることとなりましたが、連休最終日ということもあり、検査担当者の対応も形式的で意外とチェックが甘いという事実を知りました。もっとも、彼らが警戒している ような感染症はもっと激しい症状がでるようではありました。
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以下、番外です。
<参加にいたるまで>
森羅入会後1年間の山行を経て、私自信の心情の変化も多々あり、 『チャンスは逃すべきではない』との明確な意思をもって参加を決意しました。まずクリアしなければならない問題は、勤務先の理解でした。そもそもゴールデンウィーク谷間に休暇取得できたことは、20年間未経験のことで、勤務先の理解?が得られるとは思っても見ませんでしたが、日頃の滅私奉公?が功を奏したのか意外なほどあっさりと許可を得ることができました。行く先の危険度に関しては、しつこく聞かれましたが、『普通の中高年が行けるトレッキングですよ』と笑い飛ばし、ヤマケイ付録の写真だけを見せ、『軽装で景色を見に行く所』というふれ込みにしておきました。知らない人にとってはそれだけのことで済んでしまうのが恐いことです。事前の富士山高度順応は、散々な状況で皆さんにご心配をかけました。『こんなペースでは登頂できないぞ』との叱咤激励を受けながらも、足はつるし、息はあがるし、睡眠不足もありましたが、これはまずいと本当に思いました。とは言え、今更体力をつける時間的な余裕も無く、最後は迷惑はかけられないがとにかく行こう、せっかくのチャンスだという『思い』 に支えられていたというのが正直なところです。職場でも厚顔無恥に徹し、出発前日も仕掛りの仕事を同僚に引き継ぎ終えたのが23時30分、慰労のために居酒屋へ行き、タクシーで帰宅したのが午前2時、荷造りを3時に終え、眠るのは危険なため、村松さんにお願いした4時のモーニングコールを待つという状態で、予約したNEXは 東京乗換えで寝過ごす危険があるため、横須賀線直通電車で睡眠時間を稼ぐという状況でした。
<軽量化の壁>
日頃から軽量化に務めているという自負心があり、個人装備15kgはクリアできましたが、体力不足が懸念されたため、登頂日の装備軽量化は真剣に考えました。川名さんにビナの枚数まで確認し、BDの最軽量カラビナも追加購入し、できることは何でもやろうとの悲壮な思いでした。ダブルストックも富士山の状況から使用を決意しました。結果として、長時間行動日の負荷分散には間違いなく効果があったと確信しています。
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来年のスイスは早めにエントリーします(^_^)v
張
ネパールから日本に帰って、既に一週間経ちました。 今も、ネパールにいた時のことを頭から離れられないで す。印象に残ることは余りにも多すぎで、まとめるのは 中々難しいです。ここで、自分で一番感じだことを書きます。
[スピーディに登るために]
限られる期間内、計画通りに登るため、スピーディに登ることを要求されます。今回のヤラ登山期間中、ほぼ毎日の昼から天候が悪化し、夕方になって雪や雨が降りました。こんな時々刻々と変化する天気の中、登頂を目指して、10時のタイムリミットを設けられました。トレーキ ング中、腹式呼吸をしながら、いつもゆっくりしたペースで 歩き、特に辛いことはなかったが、アタック時、登りペースが速くしたので、だんだん歩き辛くなってしまいました。ネパール行く前の富士山訓練時に既に現れた体力問題は、この5000mの所にも出ました。スピーディに登山するのは、体力は基本中の基本であることを痛感しました。特に、高海抜での活動は、体力がないと何も出来ないだろうと思います。今後の登山を考えて、体力作りは重要課題とします。
[現地ガイドの重要性]
今回のヤラ登山を通じて、シェルパの重要性を実感してました。シェルパの協力がなければ、ヒマラヤ登山は不可能に近いです。荷物を運んでくれたり、食事を作ってくれたり、などなど、登頂成功の前提条件と言っても過言ではない。経験豊富の現地ガイドからの提言、アドバイスを受け、その時の天候や隊員の状態に応じて計画を調整し、行動することも重要です。今回は、タシさんのアドバイスで、30日のギャンジンゴンパでの高所順応を変更し、一日早くヤラカルカ に入りました。それによって、ヤラカルカACでの一日調整と 休憩が出来ました。体調不良の隊員が出た時の応対、観察 と判断の余裕を得られました。また、高所障害が発生したとき、タシさんの対応を見て、その重要性を改めて認識しました。
最後、チームを率いてきた川名さん、一緒にネパールへ行った 隊員の皆さん、半年以上応援してくれた家族に、お礼を申し上げます。
藤井
長文となってしまいましたので、暇なときにでも流してください。
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私の心はまだネパールです。うわの空の一週間が経ちました。
想像していた以上に深刻な事態を、私も森羅としても体験をしました。隊員 の皆さんには命を助けてもらいました。本当にありがとうございました。"良い経験だった"と言うことは簡単なことかもしれません。みんなが無事だったことは本当に幸運でした。"幸運"を味方に付けられるよう、経験は経験として、より高みを目指していきましょう。
あの夜はとても長い夜でした。みんなに迷惑も心配もかけてしまった。ああならないためにはどうすればよかったのか、酸素を吸いながら、翌日になっても、成田に帰っても考えていました。黛君が酸素吸入を受けるのを見て、黛君が死んでしまう、ととても怖くなりました。冷静になり私が何をすべきかをすぐに考えようと努めたけれど、私にできることは何もありませんでした。そんな自分が酸素吸入を受けることになってしまい、ツェルゴリに登れるか、ヤラピークに登れるかが私の大きな不安になりました。頭痛はしていました。でもトレッキング中もその夜も、つらさや苦しさは全然ない。自分は行けると思いました。なのに、がんばってもがんばっても数値は私の思うように上がらず、解明不能な自分の身体が自分のものではないような気にさえなりました。どうして?苛立ちばかりがありました。こんな事態になり自分は行けるはずもないし、迷惑を掛けるべきではないのだから、夜が明けるまでに、数値を回復させるか、諦めなければならない気持ちをどうにかして乗り越えなければなりませんでした。時間が迫っていました。翌朝になっても十分な数値にはなりませんでした。
せっかくここまで来たのに登れなかったとか、ここまで来られたのだからよかったじゃないかとか、私はそういう考えにはなれませんでした。勤め人である自分の現実の生活を考えれば、確かに異国のヒマラヤへは簡単に来ることができません。でも距離のせいにしたくはありませんでした。すぐに行ける山だから悔しくない、すぐには行けない山だから悔しい、と考えるのはあまりに現実的すぎて、もっと悲しくなるからです。登ることができないつらく悔しい気持ちは、どの山に対しても同じように持っている自分でいたかったのです。
テントの中で気持ちを処理でききれずにいた私に、ダシさんと付き添いに来てくれていた隊員は「明日はみんなで5000mに登ってみんなでギャンジンゴンパに下りよう。ヤラピークはまたの機会がある。」と言ってくれました。それは本当のことではないだろうと思いながらも、本当ではないことを言ってくれる気持ちがとてもありがたかったし、そんなことを彼らに言わせている私は何ができるのだろうかと考えていました。
森羅は山岳会である限り、体調の悪い隊員が最低限下山できるような体制を取った上で、残りの隊員は登頂を目指すべきだし、総隊長がそう判断するような山岳会であってほしい、と私は思いました。自分が迷惑を掛けたとか掛けないとか、そういう情緒的なことを登頂するかどうかの基準に重きを置いてほしくない思いが強くありました(ひとの感情がひとの気持ちを左右するのは当たり前だし、時として重要な場合ももちろんあります)。翌朝になり、Lミーティングでの話し合いに私は同席していませんでしたが、川名隊長は私の思いを裏切ることのない判断を下してくれました。私の気持ちはすとんと落ち着くところに収まりました。誠実で信頼のできる隊長であり、L隊員たちだったのだと改めて思わされ、感謝の気持ちでいっぱいになりました。だからこそ、私は自分が登頂できなかったことを現実のままに受け入れるべきだったし、そうすることができたし、10名が登頂できたことを自分のことのように嬉しく思え ました。
10名と別れてヤラカルカのACを後にした私に後ろ髪を引かれるものはありませんでした。でもやはり往路で溜息をついた美しい山々の景色は味気なく、顔を上げて見納めるという気持ちにもなりません。急ぎ足で駆け下りていると急に、本当はダンロップテントやアタックするはずだった山のある4700m地点か ら自分は逃げようとしているのではないか、という嫌な考えが過ぎりました。でも私はすぐに、それなら逃げることを認めることにしました。認めなければ、きっともう高い山には登りたくなくなってしまう気がしたからです。でも 「下りは寂しいね」と昨夜の友が歩きながら漏らした言葉に山を見上げると、ふと気が緩み、5000mに届きそうだったヤラカルカを後にすることや、仲間と 一日だけ離れてしまうことが、ただただ寂しいだけだったのかもしれないな、と急に心が穏やかになりました。"すべき"とか"でありたい"とか、そんなふう に自分を何とか処理しようと過ごした夜に、ちょっとだけ疲れていたみたいで す。登頂したみんなに再会できたときは家族が戻ってきたようで本当に嬉しく、感激しました。無事でよかったです。
ヒマラヤの素晴らしさはだれもが認めるところで、私はそのほんの触りだけを味わってきただけなのだろうと思います。言葉でも写真でもなかなか伝わるものではありません。だからこそ、より近く高くまで行く価値があるのでしょうね。
また、シェルパなしでは考えられない山行であったことも実感しました。また会えるといいなと思います。彼らに森羅のURLを教えましたら、どうやら見てくれたらしいです。嬉しいですね。 また山へ行きましょう。
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藤井奈歩(Fujii Naho)/No.050@森羅
村山
どうやら、まるっきり余裕が無かったために自分だけしか見ていませんでした。記憶もちょっと断続的だったりします。 以下、自分勝手な印象というか、書けることを書いてしまいます。 気分を悪くされる方もいるかもしれません。先に謝っておきます。 ごめんなさい。 −−−
何を書こう。書くことは幾らでもあるけど、結論めいたことまでは自信が無い。まず最初に、この山行で一番印象に残ったのはカトマンズでした。”山”では無いのがちょっとつらい。これは、私が初海外だったせいもあるでしょう。カトマンズのあの匂いにやられちゃったのかもしれません。この町には近い将来再び訪れることにな りそうです。(カトマンズの印象記なら超長文が書けますが、やめときます) さて”山”であります。自分にとって満足のいく登山ではなかった。これにつきる。勿論、満足どうのこうのは極個人的な話しで、隊と しての成功・失敗とは関係は無い。私は、幸運にもYalaの頂に立つことが出来た。それはうれしく思う。 しかし内容は、隊のメンバー・シェルパ達に引っ張りあげられただけの話しで、実際ただのお荷物に過ぎなかったのだ。
ヤラカルカでのSPO2の値は悪くなかった、ただ安静時でも脈拍は120を超えていた。今考えれば、順応のペースも遅く、完全では無かった。体力的にも問題があったにもかかわらず、自分が動けなくなることなんて考えてなかった。いや、実際5500mなんて大したこと無いだろうと思っていたのだ。どうにでもなるだろうと。実際装備の軽量化なんて何もやってない。アタック日は今までの装備にハーネス、アイゼン、共同装備のザイルが加わった。多少は重くなったが、普段の山行では遥かに重いものを担いでいるわけで全然気にしなかった。出発予定の3時を大分過ぎて歩き始める。何か、儀式めいた掛声一つあるわけではない、いつもと一緒だ。ただ昨日までよりちょっと速いくらいのペース。標高を上げる毎にはっきりわかる。苦しい、ついていけない。呼吸法を考える余裕も無く、脈は間違いなくこれ以上ないほど速く打っている。夜明け前の短い休憩時間、俺だけは呼吸するだけの機械のようだ。全身の力で息をスウ・ハク。呼吸の乱れは収まらない。他のメンバーを見ると、結構いつもどうりの表情をしている。 俺だけがついていけてない!理解できない、克服できない苦しさを抱えてつい泣き言が出た。当然のように、皆やさしく励ましてくれる。でも、俺は逆ギレしてた”バカヤローこっちは死にそうに苦しいんだ よ!!!”(苦しすぎて口にしてないけどね...頭おかしいですね)
アタックには時間制限が付いていた。頂上到着の限界は10時。 これが、凄く気になっていた。 ザックを丸ごとシェルパさんに持ってもらい、歩き出す。荷が無くな っても呼吸は大して楽にならない。完全に、隊の足を引っ張っている。 明らかにペースは遅くなった。ペースが遅くなれば登頂の可能性も低 くなる。自分が情けなかった。皆に申し訳ないと思った。 空荷でも苦しさはたいして変わらないので、せめてザック位は自分で 背負っていかねばと思い、次の休憩の時に返してもらう。 FIXロープを張るところから隊は2手に分かれる。速い隊とわかれてちょっと気が楽になった。FIXを登りきると、どうやらそこが頂上だった。時間は10時を少し回ったところだ。片隅で犬のような息をしながら、皆の様子を眺めていた。どうやら、ほんの少し先に本当のピークがあるがそこには行けないらしい...ということが理解できた。今思えば残念なのだが、その場ではここでいいじゃないかと思っていた。うれしいとか、これでやっと帰れるとかの感情が湧くかといえばそれ程でもなく。自分ののろさに責任を感じていた私は、皆が登れてほっとしたというのが正直なところだった。このへんちょっと情けないと思う。3人(川名、菅野、白土)が本当の頂上に着いた。手を振っているのを、急いでカメラで撮る。ここから自分たちの記念写真を忘れてたとばかりに写真を撮りまくる。私のザックに括りつけられていたネパール国旗をシェルパ達に持たせて記念写真を撮った。3人が戻ってからやっぱり記念写真を撮って下山となった。ヤラカルカの手前のピークにはタシさんの迎えがあった。タシさんの笑顔を見ていつものホットジュースを飲んで、やっと終わったと思った。帰り天気は悪くなってきた。まるで、僕らが登っている間だけは天気を持たせておいてくれたみたいに思える。
ギャンジンへの下りはダルイ。標高は下がっても呼吸は楽にはならないのだ。脳に酸素が回らない為か、歩きながら頭は半分寝ていた。(当社比)数倍で落石を起こしたり、つまずいたり、踏み外しそうに なったりしながら約3時間。ギャンジンでは黄色い雨具の二人に迎えら れた。笑顔を作る余裕もありませんでした。ごめんなさい。この時が、ハードなルートをこなしたという達成感を感じた瞬間だったかもしれません。
−−− どうもあちこちに借りを作ってしまったようです。この借りはキッチリ返さなくてはなりません。自分が納得できる登山を考え直す機会にしたいと思います。 基礎体力、技術共に全然不足していることははっきりしたのでその辺を向上させねば。今年はやるよ〜。来年はヨーロッパ だしね。
村山靖志
川名・追記(みんなの印象記を読んで…)
ナマステ!
次々にupされるYala印象記を読んで、今更ながら結構きつい山だったなぁと あの時のことを思い出している今日この頃です。
こうして日本にいて、毎日何事もない生活をしていると、あの出来事は 遠い遠い過去の事か、ひょっとしたら夢だったのかと、思ってしまいます。ところで、やはり皆さん、ダンロップテントでの事に話が行ってしまいますね。あの事はとてもインパクトの強い事件でしたが、それ以上にヒマラヤは楽しく そして優しい存在でもあった事。参加したすべての隊員は感じているでしょう。しかし実際に現地に行ってない、この報告を読んでいるだけのみんなは、 ヒマラヤってそんなに怖い場所なのかと、不安になってしまったのではないで しょうか? そんなことをふと思い、また実際に経験した隊員にも、補足の意味も含めて、少し書き足そうという気になりました。
さて、 人間はそんなに簡単に死にません。"初めて死を意識した"なんて書いた私が言っても、説得力は無いかもしれませんし、確かに"死"という文字は、私の意識の中にいつも居座っておりました。 また死ぬ時はコロッと、本人も意識せずに簡単に…という事もありますが、普通、人間はそんなに簡単に死にません。今回の状況は、SpO2の数値が極端に下がり、肺水腫や脳浮腫等に代表される重度の高度障害になる危険性が大でしたが、危険値にある隊員の集中管理でのSpO2の把握と、それによる酸素吸入等の処置がスムーズに行えたことにより、危険は回避されました。殆どの隊員は知らな かったと思いますが、万が一、酸素吸入でも数値が回復せず、肺水腫等の重度障害が現れたならば、次の段階として食事テント内にガモフバック一式が、後は障害者を入れるだけにセットアップされていましたし、そのさらに次の段階として、シェルパに夜中でも担ぎ下ろしてもらう用意(シェルパとの意思確認)もありました。担ぎ下ろしと同時進行で、別シェルパでレスキューも手配し、午前中の早い時間にカトマンドゥの病院にヘリにて収容する事も可能でした。ですから、万が一に最悪の事態が訪れたとしても、私は簡単に隊員を死なせるような事はしません。
しかし、結果としてその危険の第1段階を経験できたこと、当事者とそれを取り巻く隊員の中で、危機感としての認識が芽生えたこと、今更ながら仲間意識とチームワークの重要性が肌で分かったこと。等々 結果として非常によかったと持っています。もしスムーズに15名全員が登頂していたら、単なる一つの海外登山になっていて、今回ほどの意識が芽生える人は無かったでしょう。
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